八幡浜市への質問書−避難の移動手段

2.避難の移動手段について

福島の事故のときは、3月11日15時27分に津波の第1波が観測されてから23分後の15時50分に1号機の炉心損傷が始まっています。その後モニタリングポストは機能を失い、原子炉水位もわからない、発電所前の道路が崩れる、など、国や県市、住民にとって予想外の緊急事態が積み重なっていきました。

つまり、原発の過酷事故とは、きわめて短時間のうちに破滅的事態が起きるような事故です。

また、東日本大震災時の避難に関する福島民報の記事によれば、

平成23年3月の福島第一原発事故発生後、県内は避難の渋滞など混乱が続いた。
 23年3月12日、政府の避難指示が第一原発から10キロ圏に拡大された際には、浪江町中心部から町津島支所までの114号国道で渋滞が発生するなどした。浪江町によると、当時は町民約8000人が一斉に車で西側の津島支所を目指した。しかし、道路は渋滞し、通常であれば30分程度の道のりに約3時間を要したという。津島地区の学校や集会所などの公共施設はどこも満車状態で、入れない車が路上にあふれた。津島支所は阿武隈山系の標高500メートル前後の場所に位置しており、まだ寒さが残る中、公共施設に入れなかった町民は路上に止めた車内で眠れぬ夜を過ごした。
 浪江の主要道路は地震と津波の影響を受け、車の通行が困難な場所が多かった。6号国道は町の北側の南相馬市小高区で冠水。海沿いを通る県道広野小高線(浜街道)は津波で壊滅状態だった。山沿いの県道いわき浪江線(山麓線)も陥没や亀裂が発生していた。一方、西に通じる114号国道には大きな損傷はなかった。ある町職員は「もし、114号国道が通行不能になっていたら町民の避難路はなくなっていた」と当時の危機的な状況を振り返った。(下線:筆者)

とあります。

道路がすべて通行可能かどうかもわかりません。大地震の後は、震度4とか5の余震が何度も起きますから、最初の大地震の時には無事であった道路、トンネルがそのあともずっと通れるかどうかもわかりません。

 八幡浜市は、「自力で避難可能な住民は自家用車等での避難を優先する」としていますが、福島でも普段は30分程度の道のりが事故後は3時間かかったとあります。

① バス等の大量輸送の方が優先されるべきではありませんか。

② バスの手配はできているのでしょうか。どこの会社のバス等を、何台手配し、何人移送するのですか。

③ バスなどは、どういう手順で、どのバスが、どこに来ることになっているのですか。

④ バス会社との協定など締結されていらっしゃるならばその内容を教えてください。


回答:


・「できるだけ乗り合わせて」自家用車の使用を優先していて、そういう避難ができない人(要支援者等)については、バスなどで避難するとしています。その理由としては、愛媛県内で確保できるとしているバスの数が50人乗りで800~900台しかなく、絶対数が不足しているから、とのことです。

 

コメント:これは四国の道路は狭くてトンネルを多いことを考えると、福島以上の渋滞が予想されます。

 

・オフサイトセンターの現地災害対策本部が、放射線量がより高くて避難の必要性が高いところからバスを回すのでどこが優先されるかわからず、八幡浜市で何台確保できるかも不明。細かい詰めが出来ていない」とのことでした。バス会社と市が独自の契約を結ぶこともできないとのこと。

 

コメント:全体のことを考えれば当然なのかもしれませんが、放射能が降ってきている状況下ではだれしも一刻も早く逃げたいでしょう。